カラダの調子とココロの調子がリンクしてるとはよく聞く話です。

僕もそこはその通りだと思います。

しかし、何でもそのせいにしてしまうのもどうかと思います。

特に多いのが「~だからできない」という相談。

過去にこんな体験をしたからできない。

生い立ちがそうだからできない。

う~ん、きっと誰もがそうなんじゃないですかね?

もし仮にそうだとしても生きるということに変わりはないのではないでしょうか?

もちろん

PTSDなど暴力などによって過度なストレスを受けたことによって

精神的な状態が不安定になることはあります。

しかし、それが不幸であるかといえばそうではないと思います。

そのせいでやりたいことができないことが

きっとその人が病気を治したいという気持ちにさせていると思います。

そこで治療家さんやセラピストさんは

よってたかってこのトラウマを解消しようと躍起になります。
僕はここがおかしいんじゃないの?って思うポイントです。
患者さんが治りたがっているのだから

向き合って治すべきだ!って論法です。

向き合ったら治るんですかね?

何に向き合うんですかね?

僕はね

まず本人が治ったときをアリアリと臨場感をもって感じられてるか?

そこを観ていきます。
大抵はそうはならないでしょう。

だって長いあいだ痛みと一緒にいるのですから。

なくなるイメージを持つ方が難しいですよね?

だからね

治らないというイメージも同時に必要だと思います。

それならできると思うんです。

治らないイメージを持ったまま生きること

そこからはじめていきますね。

治らないから生きられない

そんな病気はありません。

生きられない病気はあっても

治らないと生きられないなんてことは

ないと思います。

だから治らなくても生きることが大事です。

そうしていく中で

生きているという実感が必要ですね。

生きるって感覚がなくなっていくのが

ココロの症状です。

だから無理に治す方向にシフトするよりも

生きる道を探すことが大事です。

その上で治るイメージが見えてきて

治ることがどうでもよくなるくらい

生きることに意識が向くことで

気づいたら治っているものなんじゃないでしょうか?


カラダの捉え方

僕たちが捉えるカラダは
自分のイメージの中にある

そんなことをよく話しますが
実はそれだけではないんです。

それはあくまで自分のアタマの中の自分であって
実際に触れたり、動かしたりしてみると
そうなっていないことに気がつきます。

するとその辻褄を合わせようとします。

ここのミスマッチで
カラダは痛くなることがあります。

それから
他の誰かに指摘されるカラダもあります。
医師や整体の先生に言われてわかったカラダはそんなカラダですね。

これは事実とイメージが体感的にいい方向に結びつくと治スイッチ!がオンになりやすくなります。

最後に
未知のカラダがあるなって思うんです。
氣とかエネルギーとかそういってしまえば
そうかもしれないけど
そこには見えたり、物質的には捉えられないけど
感覚的には感じられるカラダ

こうやってカラダをひとつとっても
たくさんの視点でカラダを感じています。

普段、何気なくカラダを使っていると
最初のイメージの世界だけに留まってしまいます。

心地よいカラダ、しっくりするカラダを
自分のカラダとして感じる力を育んで
治スイッチ!をオンにできたら
もっと自由に動けるカラダに戻っていくと思うのです。

自分になおるために痛みを味方につける

痛みって本当に辛いですね。

でも、その痛みにはあなたを勇気づける大きな大きな力があります。

何かを捨てようとするとき

何かを変えようとするとき

何かをやめなければならないとき

頭で考えているとわかっていても

そうすることができません。

でも、その痛みがおこることで

強制的に転換せずにはいられない状態になります。

痛みはあなたの道標となって

本当に望む方向へと大きくシフトさせてくれます。

もちろん

眠ることができないくらいの痛みや

手足を失うようなできごと

心が張り裂けるような痛みの時に

痛みが自分の味方になるなんて思えないかもしれません。

僕はそんな時にこそ

人の温かみに癒され

そういう困難から立ち直ることができるような気がします。

人間は触れ合うだけで体温の上昇、免疫の向上がおこるとされています。

ふれあいの中で愛情のホルモンであるオキシトシンが分泌され

体温が上がり、生きる力が湧いてくるそうです。

愛されているという感覚は自分が必要だと感じることができる

大きなエネルギーになるからです。

痛みがあることでわかること

痛みを感じて思い出すこと

痛みが体や心に本来の自分であることを

呼び覚ましてくれます。

大切なのは日頃感じている小さな痛みにも

しっかり感じていくことです。

あ、嫌だったな。

今の一言キツイなぁ。

こういう感覚、辛いなぁ。

そんな小さな痛みは

きっと自分自身が体験してきた痛みと重なり

いつものことと

受け流されてしまいます。

でも、その痛みは

あなたの体や心を小さく小さく軌道修正してくれています。

そんな痛みに

「これくらいは我慢できる」ではなく

痛んでることを知った上で選んでいけたらいいなと思います。

怒りの感情も自分を傷つけますね。

イライラすればするほど

自分の心が乾き、傷をつくります。

体の痛みも心の痛みも

脳内では同じ痛みとして判断されます。

我慢するのではなく

痛みを消化していく

その場その場で痛いことをしっかり感じ取って

自分のからだに触れてみてほしいと思います。

体力=筋力ではない...呼吸力です!

よく、筋力をつけましょうって言いますね。

患者さんにも「筋肉がないから」なんて言われます。

それは体力=筋力みたいな認識でいるからかもしれません。

最近、フットサルをはじめました。

20年ぶりくらいに本気でスポーツをやったんです。

そしたら死ぬほど苦しくて息ができなくて走れないんです。

筋肉は動ける感じがするのに、息ができなくて動けないんです。

むしろ筋肉は止まるとピクピクして痙攣し、疲労感を感じますが

動き出せばピクピクも止まり動けます。

そこで思うわけですよ。

筋力じゃなくて、筋肉に酸素が届かなくなるんだってね。

硬い筋肉、動きの悪い筋肉は酸素が行き届きにくいんです。

だから呼吸がすごく大事になります。

筋肉を緩めながら、呼吸を整えます。

すると

走れるようになります。

体力=筋力じゃないんです。

呼吸力です。

その呼吸も吸うのと吐くの間の切り替え

ここが一番苦しい。

氣の先生などはこの間に氣があるなんて言いますね。

楽に吐いて、楽に吸う

この流れを訓練します。

同時に呼吸筋と胸郭を楽に緩めていく。

するとね

気が短い人っていうのは

いっぱい我慢してるんだなってわかります。

気が長い人は

執着が少なくてパッパッと棄てられる

すごく今の感覚を生きてる。

我慢が多いっていうのは

過去とか未来とか

そういう意識に支配されちゃう。

呼吸ひとつでそんなことまで気づきます。

カラダが痛い人もほとんどが呼吸が下手くそ

カラダを緩めて呼吸力を高めるだけで

かなり元気になりますね。


自分になおる

治るってどんな状態なの?

痛みがなくなる、病気が治まる、症状が消える....

治るって言っても様々で定義が実はありません。

僕は長年、患者さんに寄り添いながら施術をさせていただいて

患者さんが治る瞬間というのも数多く見てきました。

それは患者さん自身が「もう大丈夫」って勝手に言うんです。

僕は何も示唆してないのに

患者さんが自分からそう言います。

これを僕は治るスイッチ=治スイッチ!と呼んでます。

この治スイッチ!がONになったら

あとは勝手に治っちゃう。

その治スイッチ!が入る時っていうのが

一種の閃きというか、気づきというか

患者さん自身がその痛みに納得しちゃった

みたいな感じなんですね。


様々な痛みや症状は

患者さんが表現したくてもできない

もどかしい感情や意識が表面化したもの。

痛みに関しては患者さんが今、意識すべきこと

変えたほうがいいことや

そのままだと危険だということ

そういう状態に痛みは活躍してくれます。

人間はそんな痛みの力を借りながら

脱皮し、成長していきます。

自然界では老いることは死を意味します。

しかし人間は老いてまた成長することができる

極めて不自然な生物であります。

そして老いて成長していくというのは

まるで子どもに還っていくような感じでもあります。

合気道の神様 塩田剛三先生や

整体を日本で体系化された 野口晴哉先生も

子どもに還ることが究極であると言っていて

それは本来の無垢な自分に還っていくプロセスみたいなものです。

自分に還る=自分になおる

ありのままの姿になおっていくこと

それを僕の施術では治ることにしています。


痛みは教えてくれる

痛みにも色々あります。

僕はその人の置かれた状況によって痛みの効用を考えます。

効用?って思うかもしれませんが、

痛みってないならないですっごく困ります。

痛みがなかったら

危険も察知できないし、体は固まるだろうし

相手のことも理解できないし、諦めもつかない

痛みっていうものは

今の状況を変えたり、変化するときに

不可欠な存在です。

一番、肉体的なのは

カラダが硬くなった状態ですね。

動きすぎたり、長い時間同じ姿勢だったり

そういう痛みの時期は

カラダの緊張を解いたり

ほぐしたり、ゆるめたり

動きやすいカラダに戻してあげること。

よくカラダのサビつきなんて言い方もしますね。

次に

熱を生み、熱を出す時期

ここはカラダもココロも

どっちも調うことが大事です。

カラダだけが先行しても痛くなるし

ココロがブレーキを踏んでいても痛くなります。

ここでトラウマみたいに言うと

ややこしくなりますね笑

最後は無理したくなりますね。

可能性を広げるんです。

ここでも当然のように痛みは存在しますね。

可能性に挑戦してるのに

痛みがないなんて、挑戦でもなんでもない。

そう考えると痛みはいつもそばにあって

どっちに進むかを教えてくれるんです。

その痛みをポジティブにとらえていけるかどうか

そこも治るきっかけに繋がっていくんじゃないかと思います。



姿勢は良い悪いではなくて

どんな姿勢が良い姿勢か?

そんな風に尋ねられます。

僕が考えるのは

いい姿勢が楽であること。

いくら背筋が伸びていても

それが辛かったら意味がないですね。

日本人には日本人の姿勢というのがあります。

日本人は踵の文化です。

だから背筋を伸ばすのはあまり得意ではないんですね。

欧米はつま先の文化

気をつけの文化です。

それが戦後になって教育に入ってきた。

なぜ彼らは気をつけなのかというと

王様に仕える文化だから

王様に逆らわないことが第一です。

そのために動かないこと

それが忠誠であり美徳だったのです。

日本人は殿様をお守りする文化

だからいつでも殿様のために動けるように

準備しておく。

だから気をつけで動けないのは困ります。

自分のことは自分で責任を取るのが武士のしきたりです。

欧米は胸の文化

日本は肚の文化

そういう文化的背景が違うんです。

それなら日本人のDNAに染み込んだ姿勢が楽なはずですね。

重心は踵に

膝は少し曲げて

骨盤は後傾ぎみに

肘は脇に

目は視線を落とす

姿勢というのは佇まい

その人が居るという存在感。

場と調和すること。

体と心は繋がってる?

体と心は繋がっている?

よくこういう話を耳にしますね。

僕もそれはそうだと思います。

ただ僕は療術という点で考えていることがあります。

それは
心というものをなんとなく扱ってはいけないなということ。

療術家にはふたつのタイプがいます。

ひとつは
確信を持ってアプローチするタイプ

もうひとつは
偶然そうなってしまうタイプ

どちらも効果があるので
どちらがいいとか悪いという話ではありません。

ただ、いるというだけです。

僕はできるだけ前者でありたいと思っています。

体から心へアプローチするためには
まずは体から心の状態を把握する必要があります。

僕の場合はそのツールが背骨なんです。

背骨は24の椎骨が連なって脊柱という
体の大黒柱をつくります。

ここで感情の流れを読み解いていきます。

感情は見えないものです。
見えないものというのは硬いものに宿ると言われます。

よく石にエネルギーが宿るというのと同じですね。

人体で一番硬いのは骨です。

その骨に感情は宿ります。

根深い感情になればなるほど
骨に宿るのです。

じゃあ、どうしてそれがわかるのかと言いますと

背骨は一筋の流れです。

この流れに滞りや不規則性が起こります。

これは感情がそこで拗れたというよりも
背骨がうまく働かないから拗れているともとれます。

背中を丸めた姿勢の人が
明るい気分というイメージがないように
形というのはその状態を表す記号のようなものです。

感情が拗れた形跡のある骨は背骨の流れの中で
不自然さがあります。

例えば不安や怖れは腰椎の流れが不自然になります。
なので腰椎の流れを整えていくことをします。

ただ僕の場合はこれをトラウマとはとらえず
次に進むためのプロセスと捉えているため
その流れを改善するのは術者の仕事
その改善された体から何を感じるかはクライアントというように
しっかり立場を分けて接することにしています。

僕はただ体の感覚に背骨から変化を与え
その変化に気づくのを待つ

これだけです。

施術で変化したものは
まだ自分の感覚ではありません。

施術で変化した感覚を
自分の感覚と認識してこそ治療になります。

僕にとって心とは
「感じた記憶」です。

音も香りも肌の感覚も味も
その細胞ひとつひとつに感じた記憶があります。
その記憶の一部を拾い上げて
自分のココロという枠を作ります。

まだ感じきれていない感覚があれば
そこに手を当てて思い出していけば
きっと見えている世界は違って見えると信じて
毎日施術しています。